南丹日本語クラブ

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日本語教育おすすめ本 3

日本語教育、日本語ボランティア、母語・母文化支援など外国人教育の問題、及び母語・第二言語・外国語の習得をテーマにした良書を紹介します。

日本人の脳に主語はいらない

月本洋

言語における母音比重度と主語省略度は比例するという現象を脳科学の観点から追究し、母音優勢という音声的特徴を持つ日本語によって脳を形成される日本人(日本語を母語とする人)は、脳の構造上、主語を必要としないという仮説を提示した本。各言語によって脳は形成されるため各言語を超えた普遍文法は存在しないという結論を導き出し、日本語学における主語論争に一石を投じている。

講談社、平成20年(2008)4月

日本人の〈わたし〉を求めて

新形信和

西洋と日本における「わたし」の在り方の違いを、美術・宗教・文学・武道・哲学などの比較から論じた文化論。分裂している彼我の「わたし」の違いを自覚せず、伝統的な「わたし」を失いつつあることで両方の「わたし」を失いつつあるところに日本人の危機があるとし、日本的な「わたし」を取り戻して彼我の「わたし」に連絡をつけることが日本人の課題と提起している。日本語の主語論としても重要な本。

新曜社、平成19年(2007)11月

日韓の言語文化の理解

洪a杓(ホン・ミンピョ)

日本と韓国における言語行動のフィールドワークをもとに日韓の言語文化を実証的に比較した日韓対照社会言語学の研究書。言語行動に表れた日本人と韓国人(および一部中国人・アメリカ人)の世界観・価値観・人間関係・ボディーランゲージ・相互イメージ等、コミュニケーション全般にわたる調査データと考察から、両国民の類似点と相違点を明らかにしている。日韓の相互理解に非常に役に立つ一冊。

風間書房、平成19年(2007)8月

外国語として出会う日本語

小林ミナ

ネイティブスピーカーは文法的知識がなくても正しく文法が使え、誤用を感じ分ける言語直感を持っているが、外国人は当然それを持たない。言語直感を持たない外国人が外国語として出会う日本語の文法や社会言語学的問題を、外国人の誤用例を中心に解説した本。文法的には合っていてもどこか変だという容認可能性に関わる問題を外国人にどう教えるかなど、外国人に初めて日本語を教える人に役立つ内容である。

岩波書店、平成19年(2007)2月

韓国における日本語教育

纓坂英子編著

韓国における日本語教育の歴史と現状と課題を、日本語教育学・言語学・心理学など様々な分野の研究者たちが調査考察した論文集。
外国人が日本語を学ぶ動機は日本の経済状態を反映するものだが、かつて日本に植民地化されていた韓国では、日本語教育の動向は経済だけではなく政治状況に左右されやすい。本書ではそうした韓国人の対日観に多くが割かれている。

三元社、平成19年(2007)2月

「移動する子どもたち」と日本語教育

川上郁雄編著

出稼ぎ・留学・国際結婚・難民など人々が国家を超えて移動する現代社会において必然的に発生する「移動する子どもたち」に対して、第一言語・第二言語を問わず、彼らに「生きる力」「考える力」としての言語発達をいかに保障するかという教育の原点に立ち戻った年少者日本語教育の実践研究をまとめた論集。言語教育がなすべきことを忘れた多文化共生社会のイデオロギーの落とし穴にも警鐘を鳴らしている。

明石書店、平成18年(2006)10月

多文化に生きる子どもたち

山田千明編著

日本・韓国・中国・台湾の幼児教育の研究者が、幼児期の異文化間教育のフィールドワークをもとに、異文化間教育と発達をクロスさせて考察した論集。グローバル化が掛け声ではなく現実のものになっている現状の下、研究者が持っている既存の価値判断枠組を排して、多文化共生の現実が生成する生活と教育の現場の実践から捉えている。良い意味で模索的な内容だが、日本語教育の観点からも参考になる一冊。

明石書店、平成18年(2006)6月

外国語で発想するための日本語レッスン

三森ゆりか

ドイツで教育を受け、母語教育の違いを体験した著者が、欧米の学校の母語教育で中心的な役割を担っている「テキストの分析と解釈」を国語に取り入れることを提唱した本。作家主義ではなく、書かれている事実を具体的な根拠にして読むテキスト主義に基づく読解学習は、論理的思考や討論の技術を養うのに役立つだけではなく、その訓練を受けている外国人に日本語を教える場合にも役に立つことがわかる。

白水社、平成18年(2006)6月

非漢字圏留学生のための日本語学校の誕生

河路由佳

戦前・戦時下の日本語教育の実態を、1935年に設立された国際学友会の非漢字圏留学生のための日本語学校に焦点を当てて、その歴史と教材の検証、留学生を含めた関係者のインタビューによって研究した本。昭和17年から敗戦までの約3年間は戦時体制に組み込まれたが、その時代ですら留学生教育の本質部分は変わることがなかったという、日本語教育における戦前・戦後の連続性を明らかにしている。

港の人、平成18年(2006)3月

ニューカマーの子どもと学校文化

児島明

在日ブラジル人生徒を構造的弱者ではあるが状況を変えるべく戦略や戦術を展開する行為主体として捉え、日本人の教師や生徒も彼らと連帯する行為主体となり、自らの秩序の存続を目的とする冷ややかな抑圧体制と言うべき学校文化の変革の道筋を探求した本。マジョリティの日本側に強固なアイデンティティが存在するという錯覚が見られるが、外国人生徒の知へのアクセスを保障する体制作りの提言は賛成できる。

勁草書房、平成18年(2006)3月

メコン地域の経済

槙太一他(京都学園大学総合研究所叢書7)

日本との結びつきを深めつつあるメコン地域の観光・環境・教育についての研究書。第5章でベトナム・タイ・カンボジア・ミャンマー・ラオスにおける日本語教育の現状を紹介している。メコン地域ではバブル崩壊後日本が経済不況に陥って以降も日本語学習者が顕著に増加しているが、学習者の増加に見合う受け皿が必ずしも整備されていない現状があり、日本語普及に政府主導で取り組むべきと提言している。

大学出版センター、平成18年(2006)3月

日本人と中国人とのコミュニケーション

彭飛(ポンフェイ)

日本語と日本文化に通暁した中国上海出身の日本語学者による言葉をめぐるエッセイ集。遠回しで曖昧でファジーな日本語の表現を題材に、話者の明確な判断や断定を示すことを回避し、敬語や様々な表現によって人間関係に配慮する日本人の特性を論じている。日本語のどういう点が外国人に解り難いのかがよくわかる。標準語に対する大阪方言の魅力を語った部分や、日中の言語や文化の比較考察も興味深い。

和泉書院、平成18年(2006)3月

日韓文化交流

藤井茂利

古代朝鮮語との比較や影響関係から古代日本語を研究している国語学者の著者が、日本語学・日本文学などを学ぶ韓国の学生を対象に長年行なってきた日本語教育の軌跡を綴ったコラム集。万葉集など古文をテキストにしており、大学生向けだけに内容はかなり高度。日韓の学生・研究者・市民の交流の現場が伝わってくるが、政治的ではない客観的な学問に裏打ちされた真の異文化交流の形を示した一冊。

西日本新聞社、平成18年(2006)2月

チベット語になった『坊っちゃん』

中村吉広

チベット語とチベット仏教を学ぶためにチャプチャという田舎町に留学した日本語教師が、チベット語と日本語の文法の共通性に着目し、日本語学習や日本語文献の翻訳を通じて、失われ行くチベット語の復興に取り組んだ記録。
日本語教師の立場から、中国の「解放」によって民族浄化的な支配と弾圧を受けながら、民族の文化や言語、そして誇りを失いつつあるチベット人の現状を伝えている。

山と渓谷社、平成17年(2005)12月

日本語の森を歩いて

フランス・ドルヌ、小林康夫

固定的なラング(言語)からではなく、ランガージュ(言語能力)において発話主体が経験や関係を操作する言語現象の観察から日本語文法を考察した本。
個別言語は異なっていても主体の関係操作そのものは一般化可能と見る立場だが、日仏語を助詞やモダリティなどの観点から対照して、それぞれの言語の特性を解明しつつ、言語が文化に深く根ざしている様を明らかにしている。

講談社現代新書、平成17年(2005)8月

ことばと文化の日韓比較

齊藤明美

韓国で長く日本語を教えている著者が、日韓のことばと文化について社会言語学的に比較したコラム集。似ているようでいて異なる日本人と韓国人の価値観や人間関係のあり方をそれぞれの言語を通じて体験的・実感的に説明している。
日韓の違いを的確に理解できるとともに、生活全般にわたる現代韓国事情や韓国人の民族的個性と魅力を伝えていて、日韓の相互理解に必読の一冊。

世界思想社、平成17年(2005)5月

在日コリアンの言語相

真田信治他編

在日コリアンの言語相を、1世と2・3世との比較、在米・在中コリアンとの比較、朝鮮学校など民族教育の歴史と現状など多方面から研究した論文集。在日コリアンの言語生活は母語である日本語にモノリンガル化しているが、韓国ブームやニューカマーによる刺激などによって新時代を迎えつつある一面も明らかにしている。言語面から見た在日コリアン研究として貴重な一冊。

和泉書院、平成17年(2005)1月

國語問題論爭史

土屋道雄

戦後の国語改革に見られるような表音主義を理念とする進歩的国語観に対して、伝統と合理性を兼ね備えた漢字仮名交り文・正漢字・歴史的仮名遣を国語の正統とする保守的立場から、近代日本の国語をめぐる論争の歴史を跡付けた本。国家による国語の人工的な統制を批判している。
歴史に残る文人や評論家がいかなる国語観を持っていたかを知るのも興味深い。

玉川大学出版部、平成17年(2005)1月

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